2007年11月15日
中津はも料理と伊藤伝右衛門
10月27日(土曜日)オンパク「中津はも料理と伊藤伝右衛門」が開催されました。
今日はちょっぴり肌寒く気持ちのいい秋晴れでした。別府駅集合ですが、相棒は少々お疲れ気味(かわいそ~がんばれ~)受付時にはお客さん「はも料理派」と「白蓮・伝右衛門邸派」とに真っ二つ(は、チト大げさか...笑)ボルテージを上げてのいざバス乗車となりました。
車内ではお約束の(笑)いつもの別府関係のお話やクイズを織り交ぜながら高速道路へと入っていきます。しかし既に顔なじみのお客さんも多く本筋のお話へとスライドしていきました。
白蓮・伝右衛門の資料を調べたら当時(大正10年23日)の新聞を発見してそれを車中で面白おかしくアナウンスさせてもらいました(大正時代の新聞で文字も潰れているし当時の漢字も読めなくたどたどしくよまさせていただきました)
「暁子(白蓮の本名"やなぎはら あきこ")の絶縁状の全文」当時は柳原白蓮派が朝日新聞、伊藤伝右衛門派が毎日新聞での一個人の離縁問題を全国報道ネタにした前代未聞のスクープバトルが繰り広げられたわけですね。なんと読者からは500通を超える投書があり笑えたテーマは「たった今死ね... 三十三歳の男」(爆)
さすがに城下町は違う!同じく杵築、臼杵も凄いが別府とは歴史・文化レベルが違い過ぎ(笑)
しかし、てっ寺が多すぎです(笑)
「はも」のイメージが180度変わりましたし小皿に盛ったお料理まで細部にわたり大満足(おビール他のアルコール飲料はお客様のお支払いですがガイド道中も長いのでモラル的に超ガマンです。。しかし、これだけの雰囲気と料理を目の前に断腸の思い!くっ苦しい~笑)
特攻隊隊員の最後の晩餐、無念で暴れて床柱を日本刀で切付けた痕など実際に見て一同反戦確認!別れを惜しんで筑紫亭をあとにしますが車内では満腹丸のお客さんはうつらうつら状態です。
一部2階建てというのは明治44年の白蓮お輿入れの際に注文された部分で彼女の為なら何でも尽力した伝右衛門、パン食がいいといえば下関から取り寄せ自分もパンを食い水洗便所(当時のことですよ!)じゃないと嫌だというのでそれを設置して部屋を造ったら一般人の出入りは禁止で素晴らしい邸内を見ながら趣味三昧、夫:伝右衛門でさえノックでの承諾なくしては入室不可!
そのうちに別府の別荘(俗に言う「赤銅御殿」)で大正9年に8歳年下の帝大3年生の左翼派の「宮崎龍介(間男)」とベタな出会いで一コロ...一年間に700通を超えるラブレターを書き、翌年、伝右衛門と上京のおり蒸発して龍介と駆け落ち。。。これには唖然といたします。
しかし先生に言わせると別府別荘はこの伝右衛門邸より敷地も建物の規模も大きく温泉館付きで超御殿な別荘であったといい、壊されたがとても残念と仰っていました。
参加者一同「なんて事を…どうして?」という別○市に対する強い憤りを感じていました。当時の市長は何を考えていたのでしょうか?(怒)
ここは飯塚市が買い取ったのですが今では年間13万人が訪れる市の大きな財源になっています。この通りは古い民家が建ち並ぶエリアでもあり貴重なこて絵なども皆で眺めながら本日のメインイベントの終了を感じていました。
さて帰りは嘉穂劇場に立ち寄り残念ながら当日は休館日にて車内からの見学となりました。
台風で被害を被りながら各座長たちの尽力を借り修繕してありましたが大変大きな劇場でした。
甘木インターから高速に入り一路別府を目指しました。高速道路走行中、車内から見えた満月の大きさは今日のツアーの充実感を象徴していました。朝の9時に別府駅裏より出発~帰り到着が夜の7時15分、皆さんお疲れ様でした。
スペシャルな英国時間♪
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Posted by オンパク事務局 at 18:30│Comments(0)
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