2007年11月27日
「中津はも料理と伊藤伝右衛門」・追加版
創業明治34年で、国登録有形文化財の日本料理・筑紫亭=中津市=と、今年のGWからの一般公開で13万人が来場しているという話題の旧伊藤伝右衛門邸=福岡県飯塚市=をバスで訪れました。
本来は27日開催のこの企画ですが、希望者が殺到したための追加版。添乗員2人を含め34人が楽しく有意義な一日を過ごしました。
朝、別府駅西口から出発。今はない伊藤伝右衛門の別府の別荘=赤銅(あかがね)御殿、現在は青山町の高級住宅地=跡地をバスから眺め、一路中津市へ。
途中、中津市三光村では広いコスモス園を見学して、記念撮影をしたり…。
中津市内に到着してからは、慶應義塾大学の創設者として、また著書「学問のすゝめ」で有名な、一万円札のモデル福沢諭吉の旧邸を訪ねました。(残念ながら時間の関係で、外からのみ見学)
寺町の中には、真っ赤な塀で知られる合元寺、カッパにちなんだ円応寺、閻魔大王が安置されている円龍寺などもありました。
立派な大広間に座り、女将の土生かおるさんから食に関する“哲学”をたっぷりうかがいました。ここを訪れた数々の文化人のコメントもまじえたお話で、きちんとした食事が文化を作るのだということがわかりました。
発酵学の権威、東京農業大学の小泉武夫教授からは「よく今まできちんとした和食を守り続けていますね」と感嘆されたといったお話に一同すっかり感心。
さらに食後は邸内を見学させていただくと、うーんとうなるような風情がたっぷり。宇佐の航空隊から飛び立った特攻兵たちが、最後の宴でつけたという床柱の刀傷なども見学し、女将と一緒に記念撮影もねだりました。けんちんのおみやげを買った参加者も多かったようです。
女将がバスが出発するまで見送ってくれたことにも感激。手を振りあって別れを惜しみました。
たどりついた旧伊藤伝右衛門邸はみごとなものでした。福岡市中心部の天神にあった別荘が焼失して残った豪壮な長屋門が移築されており、「お城みたい」の歓声。白蓮が暮らした2階の部屋や、広い庭なども見学。
邸内では深町純亮さん(元飯塚市資料館館長)からおもしろおかしく、伝右衛門と妻白蓮のお話をたっぷり聞かせていただきました。
帰り道では、飯塚市のもう一つの名物である嘉穂劇場を、バスの車内から遠目に見て、一路別府に。車内では伝右衛門邸の感動から、「別府に赤銅御殿が残っていたらなあ」と残念がる声もしきりに聞かれました。
2007年11月16日
過激にシェイプアップ初日

過激にシェイプアップ初日、顔合わせも兼ねた食事会。
健康に良い野菜が主体のディナーを堪能する前に、リッキー長野先生から今回のプログラムの説明。目指せ!「東京マラソン」を目標にする気持ちでと熱く参加者に語る。

シェイプアップに向けて、まずは腹ごしらえから。一品目の料理は・・・


特大サイズのお野菜です。店内に「オォー!スゴイ!」という驚きの声が広がる。
最初から最後まで美味しい野菜の食べ方を教えていただきました。
メインでも野菜は食べられることに参加者一同感動!

急遽設けた質問タイムには、多数の質問が飛び交い参加者の皆さんは野菜の美味しい食べ方に興味津々の様子でした。
2007年11月16日
あの感動をもう一度~絶叫!ケベスに酔いしれる~
昨年の秋オンパクで大好評だった、ケベス祭りのツアー。
今回のオンパクで、パワーアップして再登場。
スタッフも焦げても大丈夫な服で、気合いを入れて別府駅へ。
国東の山や海を満喫して、夜に備えるという盛りだくさんのコース、スタート。
おやつの大福を食べて、お弁当を片手にいざ山登りへ
観光ボランティアガイド会長さんにからお話を聞く。
参加者全員そろってイチ・ニ・サン。
怪我をしないよう十分にストレッチ。
崖に腰掛、ゆっくりとランチタイム見晴らし抜群。リラックスした気持ちで堪能。
実は、この周りには無数の小さなお墓がありました。
不思議な雰囲気を醸し出し仏の里国東ならではの環境でした。
はものお刺身と、海老づくしです。
最後に登場した、車海老の踊り食いに夕食会場からは叫び声が響いた。スタッフさんに無事殻をむいてもらい。食す、味は新鮮さを残し最高です。
ただならぬ雰囲気、周囲からは「ケベスっ!!」という声が響く。
お社が燃え上がってしまうのではないかと考えてしまう程の炎が立ちのぼる。
2007年11月15日
国東登山の醍醐味に挑む
10月28日(日曜日)オンパク「国東登山の醍醐味に挑む」が開催されました。
今日も気持ちのいい秋晴れでした。
別府駅に集合ですが参加者の皆さんの服装を見ると並々ならぬハッスル様で中には本格登山の重装備でお越しのお客さんもいました(テント、シュラフや調理器具類が無いだけ)そのお客さんは前日は黒岳に登られたとか、ヘッドライトは要らないのかとの質問には恐れ入りました...ベテランです(タジっ…笑)
数人はスニーカーで大丈夫かなと不安になりつついざバスに乗車です。駅構内の人々はザックを背負った行列に不思議そうな顔つきでした。
車内ではお約束の(笑)いつもの別府関係のお話やクイズを織り交ぜながら、前日の白蓮の話しや高校生のサイクリング国東一周の話などしていましたら直ぐに津波戸山(つわどさん)登山口入り口の看板が見えてきました。
しかし勾配がきついし、重装備の女性のお客様は先頭をすいすい登っているのを見て何だか少々意気消沈(おのれが情けない?)
狭い山道や崖崩れ危険箇所、足を踏み外したら最後のような転落危険箇所、不気味な緑ヶ淵を見下ろしながら石ころだらけの沢歩きに汗がでます。
そうこうするうちに、やはりリタイヤ者が出てきました。山から戻って来てからは翌日や翌々日の痛い思い軽減の為のストレッチ体操を入念に行い、地元の方々にお礼のご挨拶して次の目的地へ出発です。
道中全国放送されて有名な知るひとぞ知るランドリー「洗タッキー」(チキンで有名な所ではない…笑)を発見して一同大笑い!
真玉温泉に浸かって汗を洗い流して大分県で唯一日本の夕日100選に選ばれている場所、真玉海岸へと思いバスに乗り込もうとする時にハプニングが起きましたが、どうにか乗り切り真玉海岸へ夕日ウオッチに…
できれば宴会をしたい気分を抑えつつ頃合を見てお店を後にしました。店の外は当然真っ暗で潮風が冷たく晩秋の予感を感じました。潮騒が聞こえる海岸線沿いのお店をあとにバスは一路別府へと向かうのでした。
車内では今日のツアーのまとめ話を軽くお話して小一時間程度で別府駅裏に到着しました。これで今回のオンパクが全て終了とあいなりますが皆さんお疲れ様でした。
お客様の笑顔に感謝いたします。
2007年11月15日
中津はも料理と伊藤伝右衛門
10月27日(土曜日)オンパク「中津はも料理と伊藤伝右衛門」が開催されました。
今日はちょっぴり肌寒く気持ちのいい秋晴れでした。別府駅集合ですが、相棒は少々お疲れ気味(かわいそ~がんばれ~)受付時にはお客さん「はも料理派」と「白蓮・伝右衛門邸派」とに真っ二つ(は、チト大げさか...笑)ボルテージを上げてのいざバス乗車となりました。
車内ではお約束の(笑)いつもの別府関係のお話やクイズを織り交ぜながら高速道路へと入っていきます。しかし既に顔なじみのお客さんも多く本筋のお話へとスライドしていきました。
白蓮・伝右衛門の資料を調べたら当時(大正10年23日)の新聞を発見してそれを車中で面白おかしくアナウンスさせてもらいました(大正時代の新聞で文字も潰れているし当時の漢字も読めなくたどたどしくよまさせていただきました)
「暁子(白蓮の本名"やなぎはら あきこ")の絶縁状の全文」当時は柳原白蓮派が朝日新聞、伊藤伝右衛門派が毎日新聞での一個人の離縁問題を全国報道ネタにした前代未聞のスクープバトルが繰り広げられたわけですね。なんと読者からは500通を超える投書があり笑えたテーマは「たった今死ね... 三十三歳の男」(爆)
さすがに城下町は違う!同じく杵築、臼杵も凄いが別府とは歴史・文化レベルが違い過ぎ(笑)
しかし、てっ寺が多すぎです(笑)
「はも」のイメージが180度変わりましたし小皿に盛ったお料理まで細部にわたり大満足(おビール他のアルコール飲料はお客様のお支払いですがガイド道中も長いのでモラル的に超ガマンです。。しかし、これだけの雰囲気と料理を目の前に断腸の思い!くっ苦しい~笑)
特攻隊隊員の最後の晩餐、無念で暴れて床柱を日本刀で切付けた痕など実際に見て一同反戦確認!別れを惜しんで筑紫亭をあとにしますが車内では満腹丸のお客さんはうつらうつら状態です。
一部2階建てというのは明治44年の白蓮お輿入れの際に注文された部分で彼女の為なら何でも尽力した伝右衛門、パン食がいいといえば下関から取り寄せ自分もパンを食い水洗便所(当時のことですよ!)じゃないと嫌だというのでそれを設置して部屋を造ったら一般人の出入りは禁止で素晴らしい邸内を見ながら趣味三昧、夫:伝右衛門でさえノックでの承諾なくしては入室不可!
そのうちに別府の別荘(俗に言う「赤銅御殿」)で大正9年に8歳年下の帝大3年生の左翼派の「宮崎龍介(間男)」とベタな出会いで一コロ...一年間に700通を超えるラブレターを書き、翌年、伝右衛門と上京のおり蒸発して龍介と駆け落ち。。。これには唖然といたします。
しかし先生に言わせると別府別荘はこの伝右衛門邸より敷地も建物の規模も大きく温泉館付きで超御殿な別荘であったといい、壊されたがとても残念と仰っていました。
参加者一同「なんて事を…どうして?」という別○市に対する強い憤りを感じていました。当時の市長は何を考えていたのでしょうか?(怒)
ここは飯塚市が買い取ったのですが今では年間13万人が訪れる市の大きな財源になっています。この通りは古い民家が建ち並ぶエリアでもあり貴重なこて絵なども皆で眺めながら本日のメインイベントの終了を感じていました。
さて帰りは嘉穂劇場に立ち寄り残念ながら当日は休館日にて車内からの見学となりました。
台風で被害を被りながら各座長たちの尽力を借り修繕してありましたが大変大きな劇場でした。
甘木インターから高速に入り一路別府を目指しました。高速道路走行中、車内から見えた満月の大きさは今日のツアーの充実感を象徴していました。朝の9時に別府駅裏より出発~帰り到着が夜の7時15分、皆さんお疲れ様でした。
2007年11月08日
自然の息吹と大地の宝箱 “南阿蘇”に秋風を感じて
なのに、この日の別府は今にも泣き出しそうな天気。
天気予報も午後から雨。
せっかくのトロッコ列車チャーターなのに・・・。
参加者の日頃の行い次第かな。
最初のトイレ休憩なのに・・・、もうおみやげを買いあさってるよ~。
その野菜、高森まで持って行くの~?
でも、天気はいつの間にか回復。気持ちの良い秋の青空。
そして、燃えるように赤い紅葉。
最高なドライブ日和。
目指すは阿蘇神社。
阿蘇山や大観望は何度も行ったことがあっても阿蘇神社は訪れたことがない方、多いのでは? 今日の参加者も阿蘇神社初体験という方が多いみたいですよ。
ボランティアガイドさん、なんともかわいいおじいさまで、神様が湖だったカルデラの一部を蹴り飛ばして、湖の水を出して阿蘇平野が出来た話や阿蘇神社のいわれなどを、面白詳しく話してくださいます。
参加者のみなさんも、目を輝かせて聞き入っています。
門前町の中には、湧水が湧き出す「水基」(みずき)というものが、お店ごとに置かれ、お菓子やさんの前の水は「菓恋水」、時計屋さんの前は「竹沢(ちくたく)の雫」など、お店にちなんだかわいい名前が付いています。
全部で、14ヶ所ある「水基」は、観光客が自由に飲むことも出来ます。
そんな「水基」のある素敵な通りを、のんびり散策。
コロッケの中には、ほくほくのジャガイモと甘辛く煮た馬肉。
他にも「たのや」のシュークリームや「はなびし」の田舎いなりをほおばり、のどが渇けば「水基」でお水を飲んでと・・・楽しい食べ歩きタイム。
・・・と時間を見るともうこんな時間。
お客様と一緒にダッシュで駐車場に戻ったのでした。
時間に優柔不断なガイドですみません。。。
国道57号線から離れ、少し狭い道を進むと小さなディーゼル機関車が。
そうです、これから乗る南阿蘇鉄道のトロッコ列車です。
出発前の時間を利用して記念写真を撮ったら、かわいい汽笛をならして、小さなトロッコ列車は立野駅をゆっくりと後にしたのでした。
トンネルの中では照明を落として、橋の上では、停車してくれるなど、サービス満点。
きれいな女性車掌さんが、マイクで案内をしてくれます。
渓谷美の広がる鉄橋の真ん中でトロッコ列車は停車。
ダイナミックな南阿蘇の景色に一同感激。。。でも下をみると足がすくみそう。
参加者のみなさんも立ち上がって写真を撮ったり大騒ぎ。「あー、下流側ばかり集まると、トロッコ列車落ちちゃうよ~」なんて冗談を言いながら、素敵な時間を過ごしました。
先ほどの渓谷の荒々しい風景は姿を潜め、のんびりとした南阿蘇の田園風景に。
白川の流れに寄り添いながら、のんびりと列車は進みます。
時々、列車の横に姿を現す水源が、阿蘇の豊かな水資源を実感させてくれます。
そういえば、この阿蘇の地下水を使ったサントリーのビール工場も熊本でしたね。
本当に久しぶりに来たという参加者も多く、意外な感じもしました。
最近は阿蘇中岳火口の入山規制が厳しくなっているので、なんとなく疎遠になっているからかもしれませんね。
久しぶりの草千里。草原でのんびり過ごしました。
米塚を眺めながらバスは内牧温泉へ。
内牧温泉から地元のガイドさんとともに、まちあるきに出発。
1グループ5人程度のグループに分かれて、それぞれのガイドさんと一緒です。
なんだか、修学旅行のグループ学習のよう。
「今、内牧温泉は『泊っとベリー』なまちということで、宿泊して滞在して楽しむことが出来るまちづくりを進めているのですよ~」とガイドさん。季節の旬や土地の魅力の再確認をしていただきながら、内牧で泊まりたいと思える温泉地を目指しているのだとか。この考え方はオンパクと一緒。
スイーツを食べたり、与謝野鉄幹・晶子夫婦が滞在した旅館に感激したり、名前の通り、田んぼの真ん中にある田町温泉を覗かせてもらったり、お肉屋さん名物鳥の唐揚げを頂いたりと、2時間あっという間。温泉にゆっくり浸かる暇すらなかった(汗)
「またゆっくり来たいね~」
欲張りな阿蘇のツアーも無事終わり。
帰りは小国からのんびりと別府へ戻ったのでした。
秋の阿蘇もおすすめです。