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2007年11月15日

国東登山の醍醐味に挑む


10月28日(日曜日)オンパク「国東登山の醍醐味に挑む」が開催されました。

今日も気持ちのいい秋晴れでした。
別府駅に集合ですが参加者の皆さんの服装を見ると並々ならぬハッスル様で中には本格登山の重装備でお越しのお客さんもいました(テント、シュラフや調理器具類が無いだけ)そのお客さんは前日は黒岳に登られたとか、ヘッドライトは要らないのかとの質問には恐れ入りました...ベテランです(タジっ…笑)

数人はスニーカーで大丈夫かなと不安になりつついざバスに乗車です。駅構内の人々はザックを背負った行列に不思議そうな顔つきでした。

車内ではお約束の(笑)いつもの別府関係のお話やクイズを織り交ぜながら、前日の白蓮の話しや高校生のサイクリング国東一周の話などしていましたら直ぐに津波戸山(つわどさん)登山口入り口の看板が見えてきました。

田畑の間の狭い道を走り登山口に到着です。ここは国東半島・六郷満山(ろくごうまんざん)の峰入り・八十八ヶ所巡りの発祥地、舐めてはいけません。地元の山岳ガイドの方々とストレッチを行い、いざ出発とあいなるのでした。

しかし勾配がきついし、重装備の女性のお客様は先頭をすいすい登っているのを見て何だか少々意気消沈(おのれが情けない?)
狭い山道や崖崩れ危険箇所、足を踏み外したら最後のような転落危険箇所、不気味な緑ヶ淵を見下ろしながら石ころだらけの沢歩きに汗がでます。

お客さんに神経を使いながら途中にお寺跡や仏像安置場所で休憩を取りながらひたすら登りますが道中大声で「皆さ~ん 大丈夫ですか~!」声かけするのですが前を歩く登山隊からは何の答も無く(はずかし~~笑)、かなりお疲れのご様子で一々返答するそんな余裕はなかったのでしょう(笑)

そうこうするうちに、やはりリタイヤ者が出てきました。山から戻って来てからは翌日や翌々日の痛い思い軽減の為のストレッチ体操を入念に行い、地元の方々にお礼のご挨拶して次の目的地へ出発です。

道中全国放送されて有名な知るひとぞ知るランドリー「洗タッキー」(チキンで有名な所ではない…笑)を発見して一同大笑い!
真玉温泉に浸かって汗を洗い流して大分県で唯一日本の夕日100選に選ばれている場所、真玉海岸へと思いバスに乗り込もうとする時にハプニングが起きましたが、どうにか乗り切り真玉海岸へ夕日ウオッチに…

しかし水平線上に厚い雲がかかり夕日そのものは見えなかったのですが海面がピンク色に染まり大変きれいでした。大感激!展望台もありお客さんたちと最上階で記念撮影をいたしました。日も暮れて、少々肌寒くなりおなかも空いてきましたのでバスに乗り込み夕食会場へと向かいます。車内では夕日が見れずにフォローのコメント…がんばりました(笑)

夕食は海鮮料理のてんこ盛り、新鮮なお魚から蟹、蛸、煮付け魚天にぷらと、大変美味しゅうございました。一応お風呂上りですからお客さんたちは生ビールに瓶ビール…どんどんすすんでいました。

できれば宴会をしたい気分を抑えつつ頃合を見てお店を後にしました。店の外は当然真っ暗で潮風が冷たく晩秋の予感を感じました。潮騒が聞こえる海岸線沿いのお店をあとにバスは一路別府へと向かうのでした。

車内では今日のツアーのまとめ話を軽くお話して小一時間程度で別府駅裏に到着しました。これで今回のオンパクが全て終了とあいなりますが皆さんお疲れ様でした。
お客様の笑顔に感謝いたします。
  


Posted by オンパク事務局 at 19:55Comments(0)オンパクレポート

2007年11月15日

中津はも料理と伊藤伝右衛門


10月27日(土曜日)オンパク「中津はも料理と伊藤伝右衛門」が開催されました。

今日はちょっぴり肌寒く気持ちのいい秋晴れでした。別府駅集合ですが、相棒は少々お疲れ気味(かわいそ~がんばれ~)受付時にはお客さん「はも料理派」と「白蓮・伝右衛門邸派」とに真っ二つ(は、チト大げさか...笑)ボルテージを上げてのいざバス乗車となりました。

車内ではお約束の(笑)いつもの別府関係のお話やクイズを織り交ぜながら高速道路へと入っていきます。しかし既に顔なじみのお客さんも多く本筋のお話へとスライドしていきました。

白蓮・伝右衛門の資料を調べたら当時(大正10年23日)の新聞を発見してそれを車中で面白おかしくアナウンスさせてもらいました(大正時代の新聞で文字も潰れているし当時の漢字も読めなくたどたどしくよまさせていただきました)

「暁子(白蓮の本名"やなぎはら あきこ")の絶縁状の全文」当時は柳原白蓮派が朝日新聞、伊藤伝右衛門派が毎日新聞での一個人の離縁問題を全国報道ネタにした前代未聞のスクープバトルが繰り広げられたわけですね。なんと読者からは500通を超える投書があり笑えたテーマは「たった今死ね... 三十三歳の男」(爆)

さて途中にサプライズ企画として三光コスモス畑に寄り道(いきなりかい!)一同あまりの美しさにうっとり。。これはもうアートですな!しかしツアーは始ったばかりゆっくりとはしていられません。お次は中津の福沢諭吉旧居へそこから寺町散策です。

さすがに城下町は違う!同じく杵築、臼杵も凄いが別府とは歴史・文化レベルが違い過ぎ(笑)
しかし、てっ寺が多すぎです(笑)


そのまま筑紫亭へなだれ込み立派な歴史的建築物のなかのお座敷で大食事大会です。
「はも」のイメージが180度変わりましたし小皿に盛ったお料理まで細部にわたり大満足(おビール他のアルコール飲料はお客様のお支払いですがガイド道中も長いのでモラル的に超ガマンです。。しかし、これだけの雰囲気と料理を目の前に断腸の思い!くっ苦しい~笑)


そのあと女将さんの案内で亭内見学会でおなかも気分も二重丸なお客さんたちでした。
特攻隊隊員の最後の晩餐、無念で暴れて床柱を日本刀で切付けた痕など実際に見て一同反戦確認!別れを惜しんで筑紫亭をあとにしますが車内では満腹丸のお客さんはうつらうつら状態です。


一路今度は福岡県飯塚市の伊藤伝右衛門邸へと向かいます。結構長かったのですが無事到着しまして、まず驚いたのはこの門のの大きさは何でしょうか?江戸時代の大名屋敷?この材料の素晴らしさは何でしょうか?お金をいくら積んでも、もう「ナイ」でしょう...


贅沢な造りにため息がでるばかり木造平屋一部2階建ての300坪、敷地面積2300坪の豪邸です。
一部2階建てというのは明治44年の白蓮お輿入れの際に注文された部分で彼女の為なら何でも尽力した伝右衛門、パン食がいいといえば下関から取り寄せ自分もパンを食い水洗便所(当時のことですよ!)じゃないと嫌だというのでそれを設置して部屋を造ったら一般人の出入りは禁止で素晴らしい邸内を見ながら趣味三昧、夫:伝右衛門でさえノックでの承諾なくしては入室不可!

そのうちに別府の別荘(俗に言う「赤銅御殿」)で大正9年に8歳年下の帝大3年生の左翼派の「宮崎龍介(間男)」とベタな出会いで一コロ...一年間に700通を超えるラブレターを書き、翌年、伝右衛門と上京のおり蒸発して龍介と駆け落ち。。。これには唖然といたします。


邸内を懇切丁寧にご案内して下さった深町先生のお話しに聞き入りるお客様たちだったのですが終了して振り返るとオンパク以外のお客さんたちも無断参加(笑)でお座敷が黒だかりの山状態でした(笑)それくらい素晴らしい当時を垣間見せるお話だったのです。感激!

しかし先生に言わせると別府別荘はこの伝右衛門邸より敷地も建物の規模も大きく温泉館付きで超御殿な別荘であったといい、壊されたがとても残念と仰っていました。
参加者一同「なんて事を…どうして?」という別○市に対する強い憤りを感じていました。当時の市長は何を考えていたのでしょうか?(怒)

ここは飯塚市が買い取ったのですが今では年間13万人が訪れる市の大きな財源になっています。この通りは古い民家が建ち並ぶエリアでもあり貴重なこて絵なども皆で眺めながら本日のメインイベントの終了を感じていました。


さて帰りは嘉穂劇場に立ち寄り残念ながら当日は休館日にて車内からの見学となりました。
台風で被害を被りながら各座長たちの尽力を借り修繕してありましたが大変大きな劇場でした。

甘木インターから高速に入り一路別府を目指しました。高速道路走行中、車内から見えた満月の大きさは今日のツアーの充実感を象徴していました。朝の9時に別府駅裏より出発~帰り到着が夜の7時15分、皆さんお疲れ様でした。  


Posted by オンパク事務局 at 18:30Comments(0)オンパクレポート